<不揃いの麺と義母の靴下が届けてくれたもの>
いつもは自分の手作りを中心に紹介しているけれど、今日は夫の手打ちうどんの話をしようと思う。誰かが作ってくれるものには、どうしてこうもふっと力が抜けるような癒しがあるのだろう。
夫のうどん作りは、これで何回目だろうか。回数だけは重ねているのに、まだまだ慣れていなくて、麺は太かったり細かったり、時には水を入れすぎて生地が成形できず粉を追加することも。苦戦しながらも、楽しそうにこねている姿を見ると、それだけでこちらも柔らかい気持ちになる。
丸めた生地をのばし

包丁でストンと切っていくと

不揃いでもなぜかおいしそう。茹で上がった麺は湯気の中で白く揺れていた。

めんつゆにおろし生姜と刻みネギだけのシンプルな膳を前にすると、何よりも“夫が作ってくれた”という事実が、いちばん温かく沁みてくる。

昨日、義母が手編みの靴下を届けてくれた。夫の分と私の分を一足ずつ。義母は近くに住んでいて、ことあるごとに「これ、できたから」と手作りのものを渡してくれる。そのさりげなさに、心が温かくなる。
不揃いの麺も、編み目のそろった靴下も、どちらも自分ではない“誰かの手”が生み出したものだ。冬の暮らしは、そんな手づくりに支えられていると思う。
